2017年1月1日  主の命名日  ルカによる福音書2章21〜24
「幼子はイエスと名付けられた」
  説教者:高野 公雄 師

  《21 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。》
  ユダヤ教社会では、男の子が生まれると八日目に割礼を施します(創世記17章12、レビ12章2〜3)。イエスさまの時代には、そのときに名前をつける習慣が確立していたようです。この習慣は洗礼時に名付けるキリスト教会に受け継がれました。イエスさまも八日目に割礼を受けました。割礼によって、イエスさまは正式に神の民の一人となりました。イエスさまは割礼を受けたユダヤ教徒としての生涯を送られます。この割礼の記事は、イエスさまがユダヤ教徒であったという事実を、改めて確認させます。
  割礼は男子の包皮を切り取る儀式ですが、創世記17章において、アブラハムとの契約のしるしとして命じられたものであって、十戒に始まる律法よりも古くからあるユダヤ教の慣習でした。それは、神の救いがイスラエルにのみ及ぶというイスラエル選民思想の具体的な表現でした。
  そのとき父親のヨセフは「イエス」という名をつけます。子に名前を与えるのは父親の権利ですが、その名は天使から妻のマリアに示されたものでした(1章31)。このことは、イエスという名が人間の親の好みでつけられた名ではなく、神がその人物の使命を表現するために与えられた名であるという信仰を表しています。
  「イエス」という名前は、モーセの後継者として民を約束の地に導き入れたヨシュアと同じ名前です。ヨシュアをギリシア語で表記すると「イエス」となります。この名は、ヘブライ語では「ヤハウェは救い」という意味をもち、イスラエルの男子には珍しくない名前でした。マタイ1章21は、その名の意味を《自分の民を罪から救うからである》と説明していますが、ルカ2章11は羊飼いたちへの告知において《救い主》という称号を用いて、この名の意味を指し示しています。「イエス」という名前は、全人類の救い主であるイエス・キリストの本質を表すのに、きわめてふさわしい名前であることが分かります。
  このイエスさまの名を敬う伝統は、この教会でも聖卓と聖卓布に装飾として付いているIHSという文字に受け継がれています。IHSという三文字は、ギリシア語のアルファベットでイエスを表します。

  《22 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。23 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。24 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。》
  モーセの律法によれば、男児を出産した産婦は40日間汚れていて、神殿に入ることは許されません(レビ12章2〜4)。これは、出血の汚れを名目にして産婦に40日間の産休を与えたものと受け取ることができるでしょう。その清めの期間が過ぎたとき、両親は新生児イエスを「主に献げるため」エルサレムに連れて行きます。産婦マリアに清めの期間が必要なことは律法が規定しています。ところが、ここでは「彼らの清めの期間」とあり、この「彼ら」が問題になります。ふつうに考えれば産婦のマリアのことですが、なぜ「彼らの」と複数形なのでしょうか。ここでは、「マリアの清め」と「イエスの奉献」という二つのことが同時に考えられているからでしょうか。
  「清めの期間」は40日ですから、その間、泊まるところがなく馬小屋で出産した夫妻が、ベツレヘムに留まっていたとは考えにくいことです。出産後何日目かにガリラヤのナザレに帰って行った可能性も考えられます。そうするとヨセフとマリアは40日あまりの期間に、しかも出産の直前と直後に、二度エルサレムへの往復の旅をしたことになります(ベツレヘムはエルサレムの南7キロほど)。しかし、《親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った》(29節)との言葉が、「主の律法で定められたことをみな終えた」ときまではナザレに帰らなかったことを含意しているのであれば、ずっとベツレヘムに滞在していて、そこから近くのエルサレムに連れて行ったことになります。
  《両親はその子を主に捧げるため、エルサレムに連れて行った》とあります。この初子を主に捧げる定めの起源は、出エジプトのために主なる神が行った救いの御業にあります。それは「主の過越」です。主の過越とは、主がファラオのかたくなな心を打ち砕くために、エジプトの国中の初子をことごとく撃たれた出来事です。このことをイスラエルの民が記憶し忘れないために、主はすべての初子を清め別ち、主に献げることを求めました。主はモーセに命じます、《すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである》(出エジプト13章1〜2)。イスラエルの民は、自分の息子のうち初子については、それを犠牲として神に捧げるよう律法によって定められていたのです。そして、《あなたの初子のうち、男の子はすべて贖わねばならない。何も持たずに、わたしの前に出てはならない》(出エジプト34章20)と規定され、さらに《初子は、生後一か月を経た後、銀五シェケル、つまり一シェケル当たり二十ゲラの聖所シェケルの贖い金を支払う》(民数記18章16)と、贖いのための金額まで定められています。
  ここで「贖う」という語が使われていますが、これは「買い戻す」という意味です。いったんヤハウェに献げられてヤハウェのものとなった子を、いけにえの獣や贖い金を納めて自分のものにすることです。それをしないことは子をヤハウェに献げていないことになり、重大な律法違反となります。贖い金は父親が支払います。郷里の祭司に支払うこともできますが、ヨセフは神殿で初子のイエスを献げ、贖いのためのいけにえを献げようとします。
  《また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった》。ここで両親が神殿で献げたいけにえが「山鳩一つがい」か「家鳩の雛二羽」のどちらであるかが語られていません。ということは、この節は両親の実際の行動を記述するものではなく、彼らが果たそうとした律法の規定を紹介するために置かれているということになります。この規定はレビ記にしばしば出てきますが、羊などの正式のいけにえの動物を用意することができない貧しい者への配慮を示す規定です。ここでは彼らは産婦の清めのために神殿に来ているのですから、レビ記12章の「産婦についての規定」の中の「産婦が貧しい場合」(8節)の規定を指していることになります。
  ところが23節には、乳飲み子のイエスさまを神殿に連れてきたのは、主に献げた初子の男子を贖うためであることを示唆する律法の引用があり、24節の献げ物が「産婦の清め」のためか「初子の贖い」のためのものか曖昧です。「産婦の清め」にはふつう新生児は連れて行く必要はありません。しかし、「初子の贖い」のためにはこのような「山鳩一つがいか家鳩の雛二羽」というような規定は見当たらないので、やはりこれは「産婦の清め」を指していると見るべきでしょう。いずれにしても、ルカはイエスさまの誕生がすべて旧約聖書の律法を成就する出来事であったことを伝えているのです。
  このことは、私たちにとってどのような意味をもつでしょうか。それは、イエスさまが入ってこられた世界は、律法によって支配された世界であるということです。イエスさまは律法と無関係に、神の戒めや掟と一切関わりのないところに来られたのではありません。イエスさまは律法の支配下にある世界、しかも律法が神の意志から離れて、人間を苦しめ、罪の奴隷状態に追い込んでいる世界に入ってこられたのです。それはいったい何のためでしょうか。このことについて、使徒パウロは次のように証ししています。《わたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした》(ガラテヤ4章4〜5)。つまり、イエスさまは、私たちを律法の支配から救い出すために、私たちと同じ人間としてこの世に生まれ、割礼も受け、さらに洗礼も受け、人間としての苦しみや制限、悩みをすべて分かち合われたのです。そして、最後には私たちの罪をすべて担って、十字架上で刑死されたのでした。それが、イエス・キリストが私たちを救ってくださる方法でした。
  神が私たちの悲惨な現状をただ傍観しておられる単なる超越者であったなら、天の高いところにじっと座って見下ろしておられるだけの方であったとしたら、イエスさまを私たちのところに送ることはなかったでしょう。あのような形で、受難の道を歩ませられることはなかったでしょう。もちろん、私たちは2000年前のユダヤ人と同じではありませんし、ユダヤ教の律法の下にいるわけでもありません。しかし、私たちも、律法と同様に私たちを縛り付けているさまざまなこの世の価値観に支配されています。私たちの行いの基準をつねに、自分ではなく、神に、つまりイエス・キリストに合わせているでしょうか。自分の思いではなく、イエスさまの言葉と行いに合わせる、それが第一に必要なことだと思います。それは決して窮屈なことではありません。むしろ限りなく自由になることです。それこそが「福音」(良い知らせ)なのです。


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