2016年12月11日  待降節第3主日  マタイによる福音書1章18〜23
「イエスの父ヨセフ」
  説教者:高野 公雄 師

  《18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。》
  きょうの個所の最初に《イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった》とありますが、きょうの個所では、イエスさまがいつ、どこで誕生したというようなことは語られません。それは2章に入ってから語られます。この1章で語られるのは、母マリアがどのようにしてイエスさまを身ごもったか、そしてそれを知った父ヨセフがどうしたか、ということです。とくにここでは父ヨセフに焦点が当てられています。ルカ福音書がマリアを中心に記述しているのに対して、マタイ福音書はヨセフを中心に描いているのです。
  クリスマスの出来事は、マリアにとってもヨセフにとっても、まさに驚愕でした。ヨセフは、婚約者が自分以外の何者かによって妊娠したという事実を知らされたのです。当時の律法は、婚約期間中の性関係を禁じています。マリアは、私はヨセフを裏切ってはいない、決して他の男と性関係を持ったわけではないと必死に主張したでしょう。しかし、彼女が妊娠し、次第におなかが大きくなっていくという現実の前では、それを他の人に信じてもらうのは不可能です。ヨセフは裏切られたという思いをぬぐい去ることができませんし、マリアは自分の潔白をどうしても理解してもらえません。二人の関係は崩壊しようとしていました。
  この苦しみの中で、ヨセフは一つの決心をします。《夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した》。ヨセフとマリアは婚約していました。当時の婚約は、まだ一緒に暮らすことはしていない、という点で正式の結婚と区別されるだけで、二人を結びつける法律的な関係は結婚と同じに考えられていたのです。ですから、婚約期間中に他の異性と性関係をもつことは姦通の罪に問われます。「表ざたにする」と、マリアの姦通の罪が明らかになりますが、ヨセフはそれを避けて、ひそかに婚約を解消しようと決心しました。婚約関係がなければ、子供を生んでも姦通の罪に問われることはありません。ですから、これはヨセフのマリアに対する精一杯のやさしさの現れです。《夫ヨセフは正しい人であった》というのは、このことです。この結論に達するまでに、ヨセフは随分悩み苦しんだでしょう。それは誰にも相談することのできない、一人でかかえ込み、決断しなければならない悩みです。ヨセフのクリスマスは、このような深い悩み苦しみから始まったのです。

  《20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。》
  ヨセフがこのように深く苦しみ悩んでいると、《主の天使が夢に現れて》語りかけます。それはヨセフに、@マリアを妻として迎え入れることを求め、Aマリアの妊娠は聖霊によることを告げ、B生まれてくる子をイエスと名付けることを命じるものでした。要するに、神はヨセフに、常識においては自分を裏切ったとしか思えないマリアを妻として迎え入れ、同時に、マリアの生む子供を自分の子として受け入れ、その子の父となることを求めたのです。こうして、天使はマリアの言うことが真実であることの証人となりました。子供に名前をつけるというのは、それが自分の子であると認める、今の言葉で言えば認知するということです。ですからこれは、単に、妊娠しているマリアを妻として迎え入れる、というだけのことではありません。自分の婚約者が、自分によらずに身ごもった子供を、自分の子として受け入れ、その父となることを彼は求められたのです。父となるということは、その子供を守り育てるための責任を負うことです。現にこの後、彼は幼子イエスさまを守るために、エジプトにまで逃げていかなければなりませんでした。そういうすべてのことを引き受けるようにと神はヨセフに言われたのです。
  《ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた》(1章24〜25節)。このように、ヨセフは神のみ言葉のとおりにしました。彼がこうしたことによって実現したのは、イエスさまが無事にこの世に生まれてくることができたとか、父親のない子にならずにすんだ、というだけのことではありません。そこにはもっと大きな意味がありました。マタイ福音書1章1〜17に、イエスさまがアブラハムの子、ダビデの子として生まれたことを示す系図が記されています。そのアブラハムから始まり、ダビデを経て続いてきた名前の最後に来ているのは、ヨセフです。《ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった》(1章16)。この系図はヨセフの系図です。しかしイエスさまは、ヨセフによらずに、マリアがいわゆる処女懐胎によって生んだ子です。この系図は、血のつながりという意味では、ヨセフで途切れているのです。イエスさまにつながっていません。それにもかかわらず、これが「イエス・キリストの系図」と呼ばれるのは、ヨセフがマリアの生んだ子供を自分の子として受け入れたからです。彼が神のみ言葉に従って、自分はその父となるという決断をしたからです。彼のこの信仰における決断こそが、この系図をイエスさまにつなげているのです。そしてこの系図がつながることによって、神の約束した救い主はダビデの子孫として生まれる、という預言が実現したのです。天使が呼びかけた《ダビデの子ヨセフ》という言葉がすでに、生まれる子をダビデの家系に入れることが神の計画であったことを表していました。
  クリスマスの出来事とは、神がその独り子をこの世に遣わしてくださった、神の独り子が貧しく弱い赤ん坊としてこの世に生まれてくださった、ということです。しかしここに語られていることをよく読むならば、神はそれ以上のことをしていることが分かってきます。父なる神は、ご自分の独り子を聖霊によってマリアの胎内に宿らせ、その命をマリアに委ね、その子を自分の子として守り育てることをヨセフに委ねたのです。これによって、イザヤ7章14の預言が実現しました。《見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる》。インマヌエル、それは《神は我々と共におられる》という意味です。イエスさまは「我々と共におられる神」です。神の独り子がおとめの胎に宿って人となり、私たちの所まで来られた。神が私たちと共にいてくださる、という恵みが、クリスマスの出来事において実現したのです。

  私たちは、「神は我々と共におられる」ということを、ともすれば「私の歩みに神がいつもついてきてくださり、一緒にいて、守り、助けてくださる」というふうに捉えてしまいます。しかしそれでは自分が主人であり、神がお供のようについて来る、ということになります。そういう意識でいる限り、本当のインマヌエルは、つまりクリスマスの本当の恵みは分かりません。神が共にいてくださるとは、神が、ご自身のなさろうとしておられる救いのみ業を、この私に委ね、私をそのために用いようとしておられる、そのためのある課題を私に負ってほしいと願っておられる、ということです。そのみ心を受け止めて、神に従い、神から与えられる課題を背負っていく信仰の決心をすることにおいてこそ、インマヌエル、神は我々と共におられる、ということを体験していくことができるのです。
  私たちは、自分の足で歩いているつもりでいても、実は共にいてくださるイエスさまに背負われている、神の力に支えられているということが多々あるのです。神が我々と共におられるとは、神が、そしてイエスさまが、私たちを支え、背負っていてくださることだというのは真実です。しかし、そのことだけを見つめていたのでは、インマヌエルの恵みの一面しか知ることができません。神は時として、私たちにご自身のなさろうとしている救いのみ業を委ね、私たちをそのために用いようとなさいます。そのための重荷を共に背負ってくれとおっしゃるのです。「つらいこともあるだろうけれども、この重荷を背負って私と共に歩いて欲しい、私はそのようにして、あなたと共に救いの業を押し進めていきたいのだ」、神が私たちにそのように語りかけてこられる時があるのです。マリアもヨセフも、神のそういう語りかけを聞き、それに応えて、イエスさまの母として父として生きることを背負いました。その歩みの中で彼らは、実は自分たちが救い主イエスさまによって背負われ、守られ、導かれていることを体験していきました。インマヌエル、神は我々と共におられる、という恵みは、そのようにして体験されていくものなのです。実に、ヨセフが神から与えられる課題を背負って生きることを決心したことによってクリスマスの恵みは実現しました。ヨセフのクリスマスが私たちのクリスマスとなる時にこそ、インマヌエル、「神は我々と共におられる」というクリスマスの恵みと喜びが私たちにも満ち溢れるのです。


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