2016年11月27日  待降節第1主日  マタイによる福音書21章1〜11
「イエスのエルサレム入城」
  説教者:高野 公雄 師

  《1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。3 もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」4 それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。5 「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」6 弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、7 ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。8 大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。9 そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」10 イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。11 そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った。》

  待降節の始まりは、いつもイエスさまのエルサレム入城の話を聞きます。過越祭を間近にして巡礼者たちがごった返すなかで、イエスさまはエルサレムへ入城されます。イエスさまはすでに三度、ご自分の死と復活を予告していましたが、そこでもご自分がエルサレムに上がるということも語っていました。イエスさまがエルサレムに来たことには大きな意味があります。それは、エルサレムがユダヤの中心地、首都である上に、そこには神の民であるユダヤ人の心の拠り所である神殿があり、神はそこにいてくださると人々は信じていたからです。さらに、エルサレムはダビデの町です。ダビデ王がそこで民を治め、神はダビデの子孫に、まことの王、救い主が生まれることを約束しています。ですから、「ダビデの子」、救い主が現れたら、その方は必ずエルサレムに来て、王として即位する。それによってイスラエルはダビデ時代のような繁栄を回復することができる、と人々は期待していたのです。そのようなエルサレムにイエスさまは来ました。人々はみな、このイエスさまが神の約束した救い主、ダビデの子ではないかと期待していたのです。
  ベトファゲはベタニアの西、オリーブ山の山頂から東一キロほどのところにある村です。ベトファゲ村に着いたイエスさまは、エルサレムに入る準備をします。それが意想外のことで、イエスさまは弟子二人を使いに出して、子ろばを連れてくるように指示します。威風堂々たる王の入城という人々の期待とは裏腹で、子ろばに乗ってエルサレムに入ろうというのです。そこで、二人は出かけて行って村に入ると、すべてイエスさまが語られた言葉どおりになっていました。
  二人が子ろばをイエスさまのところに引いてきて、《その上に自分たちの上着をかけ》たのは、王として都に入られる自分たちの師に対する精いっぱいの敬意の表現です。さらに、《大勢の群衆が自分の上着を道に敷き、またほかの人々は木の枝を切って道に敷いた》のは、自分たちの救済者である王の到来を迎える群衆の喜びと興奮の表現です。王の入城に際してこのような慣わしがあったことが列王下9章13に記されています。
  ヨハネ福音書12章13は、この「木の枝」がなつめやしの枝であると伝えています。「なつめやし」はかつては「しゅろ」と訳されていたので、イエスさまのエルサレム入りの日は「棕梠主日」と呼ばれていました(現在はその名が「枝の主日」と替わっています)。時代が下ると、イエスさまのエルサレム入りのとき人々がなつめやしの枝(しゅろの葉)をかざして歓呼したという伝承が生まれてきました。
  イエスさまを迎えた人々は《ホサナ》を叫びつづけました。「ホサナ」というのは、イスラエルの民がエルサレムへ巡礼するときに用いられたハレル歌集(詩編113〜118編)の最後の詩編118編25に出てくる《どうか主よ、わたしたちに救いを》(与えてください)(ホーシーアー・ンナー)が転化したもので、もともと神の最終的な救いの業を求める終末的な響きのある叫びでした。しかし、新約時代には、この語は神の前で喜びを表す喚声になっていました。「ハレルヤ」や「ばんざい」と同じです。
  さらに、人々は《主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ》と叫んでいます。これも先の「ホーシーアー・ンナー」の次の節(詩編118編26)の言葉です。イスラエルでは約束されたメシアを「来るべき方」という名で指していたことを背景として考慮すると(マタイ11章3参照)、詩編118編26の《主の御名によって来る人》を用いて叫んでいる民衆は、ここでイエスさまをイスラエルに約束されていたメシアの到来として歓呼して迎えているのです。
  イエスさまはこのような仕方でご自分が神の民イスラエルの王であることをいまや公然と示されました。このことは、わたしたちがエルサレム入城の記事を読むときに、しっかりと受け止めなければならない一つ目の大事なポイントです。イエスさまがわたしたちのためにろばに乗る王として来てくださったことを信じるとき、《主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ》との歓呼の叫びが、わたしたちのほんとうの賛歌となるのです。この賛歌は、ラテン語訳の最初の言葉をとって「ベネディクトゥス」と呼ばれますが、わたしたちはこれを聖餐式の序詞の最後の部分で毎週、賛美します。短い賛歌なので、現行式文ではサンクトゥスと併せて一つの曲にまとめられています。なお、ルカ1章67〜79のザカリヤの賛歌も「ベネディクトゥス」と呼ばれますので、要注意です。

  イエスさまは王としてエルサレムに入城しました。しかしそこでイエスさまが選び、乗られたのがろばであったということが、この記事の二つ目の大事なポイントです。神の民イスラエルは、ダビデに約束されていたように、彼の子孫(ダビデの子)によって異教徒の支配から解放され、その本来の栄光に達する時を待ち望んでいました。今その時が来たとして歓呼しているのです。しかし、メシアでありイスラエルの王であるイエスさまは、民が期待し、ユダヤ教の神学が描いていたような王ではありません。力をもって民を支配するこの世の王とは違い、「柔和な方で、荷を負う子ろばに乗って」その民のところに来られました。このことは、旧約聖書(ゼカリヤ9章9)の預言の成就でした。《シオンの娘に告げよ。「見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って」》。「シオンの娘」とは都エルサレムのことです。マタイによる福音書によると、弟子たちが連れて来たのは、ろばと子ろばの二頭でしたが、イエスさまが乗ったのは、マルコによる福音書によると子ろばの方です。   イエスさまが柔和で謙遜な方であるとは、どういうことでしょうか。きょうの個所より少し前に、《疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである》(マタイ11章28〜30)とありました。それは、イエスさまがわたしたちの疲れ、重荷を共に背負ってくださるということ、あるいは、疲れ、重荷を負って喘いでいるわたしたちそのものを背負ってくださることです。イエスさまの柔和さというのは、ただやさしいとか穏やかだというのではなくて、わたしたちの人生を根底から担ってくださる、そういう力を内に秘めた柔和さなのです。そしてそのことは、イエスさまの謙遜によって実現します。まことの神であるイエスさまは、十字架の死への道を歩んでくださったのです。それは、私たちの罪を全てご自分の身に背負ってくださるためです。わたしたちが、神と隣人とに対して日々犯している罪のすべてを、イエスさまは引き受け、背負って十字架の上で死んでくださったのです。これがイエスさまの謙遜です。この謙遜によって、わたしたちは担われ、背負われているのです。

  イエスさまのエルサレム入りでもっとも印象深いのは、イエスさまが子ろばに乗って都に入られたという点です。これは四福音書すべてが報告している事実です。これは、むかし預言者たちが神の使信を告げるのに、壷を投げて割ったり、自分に軛をかけて歩き回ったりしたのと同じく、一つの象徴行為です。この象徴行為が何を意味しているかは、マタイが(そしてヨハネも)指摘しているように、ゼカリヤの預言から理解できます。この象徴行為は、イエスさまは王としてご自分の都に入られたこと、しかも力をもって支配するこの世の王とは反対に、人々の重荷を負う「柔和な方」として民のところに来てくださることを語っています。そして、この時のイエスさまの姿を語るだけでなく、いま復活されたイエス・キリストの真理を証しする者は、この子ろばのように、自分を無とする柔和な者でなければならないことを、わたしたちに語りかけているのです。


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