2017年1月22日  顕現節第3主日  マタイによる福音書4章12〜17
「ガリラヤで伝道を始める」
  説教者:高野 公雄 師

  《12 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。13 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。》
  洗礼者ヨハネの運動が拡大すれば、メシア的な運動となって領地に騒乱が起こるだろう。領主ヘロデ・アンティパスは、それを恐れて、ついにヨハネを逮捕し、城の牢獄に閉じ込めます。この出来事の背景は、マタイ14章1〜12に記されています。ヨハネ逮捕の知らせを聞いて、イエスさまはユダヤを去り、ガリラヤに退かれます。これは身の安全を図るためではありません。ガリラヤはまさにヘロデ・アンティパスの領地だからです。イエスさまは、ヨハネが逮捕されたことに、自分が福音伝道に立つべきときが来たことを悟って、ガリラヤで活動を始められたのです。
  ナザレは、ガリラヤ湖と地中海との間にある山地の村です。この村で父ヨセフは大工をしていました。イエスさまもここで育ち、父の職業を継いで(マタイ13章55)、大工として一家の生計を支えてこられたのでしょう。しかしイエスさまがガリラヤへ戻ったときには、イエスさまの母も兄弟たちもカファルナウムに住んでいたようです。ですから、カファルナウムの徴税人が、イエスさまのところへ神殿税の催促にきたのです(マタイ17章24)。ヨハネ2章12に《イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き》とあるのもこのことを指していると思われます。ここに父ヨセフの名がないのは、このときはすでに亡くなっていたためと考えられています。どうしてナザレを離れることになったのかは記されていません。
  カファルナウムはガリラヤ湖の北岸にあります。この町は、ヘロデ・アンティパスの領地であるガリラヤと、その兄弟であるヘロデ・フィリッポスの領地であるガウラニティスとの境界の西(ガリラヤ側)にあり、ガリラヤ湖沿いの街道にある交通の要所となる町で、ヘロデの軍隊も駐屯していました(マタイ8章5〜13、百人隊長の部下の癒しを参照)。イエスさまはここを拠点にしてガリラヤと周辺地域に伝道を行いました。ここはガリラヤ湖に面しているので、舟でガリラヤ湖周辺へ出かけるのに便利だったからでしょう。

  《14 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。15 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、16 暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」》
  このカファルナウムに《ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町》という説明がつくことで、イエスさまがカファルナウムに住まれたことは、イザヤの預言の成就であることを強く印象づけています。
  15〜16節は、イザヤ8章23〜9章1からの自由な引用で、原文とは細かな違いがあります。《ゼブルンとナフタリ》は、イスラエル十二部族の中でガリラヤ地方に住んだ部族の名です。ゼブルン族の土地はガリラヤ湖と地中海との中間にある山岳地帯で、そこにナザレはありました。ナフタリ族の土地はガリラヤ湖の西側からゼブルンとの境までで、湖畔の町カファルナウムはそこにありました。
  イザヤの預言は、アッシリアに征服された(元の)北王国イスラエルの地方に宛てられていて、イザヤは、今はこの地方が屈辱にまみれているけれども、やがて必ず「栄光を受ける」と預言したのです。
  ガリラヤはダビデ王国の領域に含まれ、分裂後は北王国の一部として、イスラエル十二部族の一部が住んだ地方でした。しかし、北王国がアッシリアに滅ぼされる(前722年)その前からすでにアッシリアの属州となり、民族の混淆が進み、「失われた地」になりました。その後、南王国ユダもバビロニアに滅ぼされます(前586年)。しかし、バビロニアを滅ぼしたペルシア王キュロスから帰還の許可を得て、エルサレムに神殿を再建します。そのさい、サマリアが神殿再建を妨害したとして、ユダヤとサマリアは仇敵の間柄になります。こうして、ガリラヤとサマリアとユダヤは、それぞれ違う歴史をたどりながら、ペルシアの支配下に暮らすことになります。
  それで、ガリラヤはエルサレムに再建されたユダヤ教団からは軽蔑の意味を込めて《異邦人のガリラヤ》と呼ばれることになりました。ガリラヤという地名自体が、「ガーリール」という、エルサレムを中心として発達したユダヤ教にとっての「辺境」を意味する語に由来します。ガリラヤがふたたびユダヤ教の土地になるのは、ハスモン王朝がガリラヤまで支配を及ぼし(前100年頃)、住民にユダヤ教を強制して、シナゴーグを建てるなどして教化活動を続けた結果です。また、ユダヤからの入植者を送り込みます。イエスさまの家族もこの時期のユダヤからの入植者であると見られます。ユダヤとガリラヤとは、イエスさまの当時、支配と被支配の関係にありました。
  《異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ》とは、イエスさまがガリラヤに現われたので、ガリラヤに住む人たち全体に「光が射し込んだ」ということです。このみ言葉は、イエスさまがガリラヤで福音の伝道を開始された意味を表わしています。すなわち、イエスさまの福音伝道はユダヤ人だけでなく、今まで神も聖書も知らなかった諸々の民族に向かってなされているのだと宣言しているのです。

  《17 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。》
  ガリラヤでイエスさまが宣べ伝えた福音は、《悔い改めよ。天の国は近づいた》と要約されています。この福音宣教の言葉は、洗礼者ヨハネの言葉(3章2)と同じで、イエスさまとヨハネが一体であることを強調しています。
  マタイは当時のユダヤ人の慣例に従って、「神」という用語を避けて、代わりに「天」を用います。マルコでは「神の国」と言われていたところは「天の国」と言い換えられています。そして、場合によっては「天の」を略して、単に「国(御国)」と言っています(4章23、6章10「御国が来ますように」、など)。
  「神の国」というのは、イエスさまが初めて使った用語ではありません。それは旧約聖書の長い歴史があります。「神の国」とは、領土ではなく、神が民を支配されるという出来事を指しています。それで、「神の支配」と訳するほうが適切だと言われています。
  「神の国」(あるいは神の支配)は、ユダヤ教特有の終末論的な用語です。それは、「神の支配」という表現が、聴衆である当時のユダヤ人たちにとって、救いを語る共通の言葉でした。当時のユダヤ人はみな、「神の支配」の到来を待ち望んでいました。「神の支配」が到来するとき、神の民を苦しめる悪しき権力は裁かれ、神に忠実な民は救われて栄光に入るのです。そのときが近いことを、多くの預言者たちが告げていました。
  この国は、人間の側から始めたのではなくて、神のほうで始められた御業です。神は、イエスさまをお遣わしになることによって神の国を開始されたのです。ヨハネ6章15には、人々がイエスさまを王にしようとしたとありますが、神はイエスさまを地上の権力者にして支配させるのではありません。イエスさまを通して、神の御霊が働くことによってこの地上を支配しようとしておられるのです。ですから「神の国」とは、聖霊によってイエスさまがマリアに宿られることに始まり、聖霊の力によって広がっていくのです。
  その神(天)の国は《近づいた》とあります。この「近づいた」という言い方は、日本語では「間もなく来る、しかし今はまだ来ていない」ということになるでしょう。しかし、ヘブライ語の考え方で読むと、「すでに来ている」という意味になります。「近づいている」とは、この御国はすでに始まっている、しかしまだ完成していないということです。こういう状態のことを「終末的」と言います。ですから「終末」というのは、未来に訪れる終わりのこととは少し意味が違います。現在すでに始まっているけれども未完成である、今もなお聖霊は働き続けているという意味です。

  《悔い改めよ》も、ヘブライ語では「戻る」「帰る」という意味で、「(主に)立ち帰る」ことを指します。ですから、日本語の「悔い改める」の意味とはかなり違います。聖書の言う「悔い改める」とは、悲しみ嘆いて心を入れ替えることよりも、むしろ積極的に、神が遣わしたイエスさまの福音へと「向きを変える」こと、その方向へ「突き進む」ことです。ただし、ここの命令形は、人間の側が進んで行うというよりも、聖霊の働きに促されて、御国へ「導き入れられる」ことでしょう。神はイエスさまの十字架と復活によって贖いのみ業をすでに実現されました。このようにおぜん立てした上で、神は《わたしに立ち帰れ。わたしはあなたを贖った》(イザヤ44章22)と呼びかけておられるのです。イエスさまも《疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませて上げよう》(マタイ11章28)と招き、《何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい》(マタイ6章33)と勧めておられます。この招き、勧めに応えて、私たちは、神の国の支配者である神とのかかわり(義=信頼)をどこまでも第一にしていきましょう。そこにのみ、「暗闇に住む」、「死の陰の地に住む」私たちに光が射し込むのですから。


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