2017年1月29日  顕現節第4主日  マタイによる福音書4章18〜25
「最初の弟子を獲得する」
  説教者:高野 公雄 師

  《18 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。19 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。20 二人はすぐに網を捨てて従った。21 そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。22 この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。》
  イエスさまは神の国の近いことを宣言したすぐその後で、二人ずつ4人の弟子を伝道へと召命します。イエスさまの伝道活動は、その弟子たちと終始一緒であって、この4人は、その弟子たちの中核になる人たちです。
  ユダヤ教のラビたちは、ふつう弟子を集めることはなく、弟子たちの方から師を求めて集まるのが常でした。ですから、ここでのイエスさまの召命の仕方は、当時の社会常識から見ると唐突な感じを受けます。このやり方は、通常の宗教の師ではなく、しるしと奇跡を伴う霊能者や預言者の召命の仕方に近いと言われています。
  イエスさまは、ガリラヤ湖の北の沿岸にあるカファルナウムを中心にして、これより西の方の沿岸にあるゲネサレトと東の方の沿岸にあるベトサイダにかけて初期の伝道を行なって、多くの支持者を得たと思われます。この一帯は漁村で、カファルナウムは、ガリラヤ湖沿いの街道にある町です。ガリラヤには二つの大都市、セフォリス(ガリラヤの旧州都)とティベリアス(新しい州都)があって、これらはヘレニズム化した大都市でした。けれどもイエスさまは、どちらの大都市へも伝道に行っていません。イエスさまの伝道活動は、大都市の周辺に広がる農村や漁村の比較的目立たない所で、農民や漁民などを相手に行なわれました。しかし伝道の相手となる人々の身分や職業はさまざまで、経済的に見ても、比較的裕福な人たちも貧しい人たちも含まれていました。
  なお、「ガリラヤ湖」は「ティベリアス湖」(ヨハネ21章1)とも「ゲネサレト湖」(ルカ5章1)とも呼ばれています。湖の西岸の平野部は「ゲネサレト平原」と呼ばれていました。
  《ペトロと呼ばれるシモンとシモンの兄弟アンデレ》との二人はベトサイダの出身だとあります(ヨハネ1章44)が、イエスさまの伝道活動の頃には、家族はカファルナウムに移っていたと思われます(マルコ1章29以下)。「アンデレ」はギリシア名で、これにあたるヘブライ名はありません。「シモン」はギリシア名ですが、ヘブライ名「シメオン」と重なります。これは当時普通のことで、彼らの家が特にヘレニズム的であったのではありません。シモンは後にイエスさまに「ペトロ」と名づけられます(マルコ3章16)。アンデレは、ヨハネ福音書によると、洗礼者ヨハネの弟子であり、そしてシモン・ペトロをイエスさまに引き合わせた人でもあります(ヨハネ1章42)。
  彼らは湖で《網を打って》いました。これは、ふつう水の中に入って、投げ網の漁をすることを指す言葉なので、この二人は、舟を持っていなかったのかもしれません。もしもそうだとすれば、彼らは比較的貧しい漁師だったと考えられます。
  《わたしについて来なさい》という言い方は、文字通り「その人の後について行く」という意味とともに、「その人の弟子として従う」という意味にもなります。《人間をとる漁師にしよう》は、もちろん比喩であって、人々を信仰に導く伝道者の働きを意味しています。彼らは、人々が神のもとへと立ち帰ることを追い求めるという使命へと召されたのです。ここで大事なのは、イエスさまが「あなたがたは漁師になれ」ではなく、「あなたがたを漁師にしよう」といっていることです。自分の力、努力によって漁師になるのではありません。イエスさまご自身がそのような漁師にしてくださるということです。
  《二人はすぐに網を捨てて(彼に)従った》。このことから、伝道するためには職業(と家族)を捨てなければならいい、という解釈が生まれました。仏教で言う「出家する」と同じです。仏教では、これは修行のために遍歴して行脚(あんぎゃ)する必要からでした。イエスさまも、弟子たちを連れて、町から町へと巡回して伝道を行ないました。しかし、「網を捨てた」とあるのは、弟子たちの生活態度が、イエスさまと一緒に福音を伝える姿勢へと根本的に変わったことを意味します。彼らが実際に「家と仕事を捨て去った」のかと言えば、必ずしもそうではありません。イエスさまはしばしば舟を利用しましたが、これは弟子たちの中で舟を所有している人たちがいたことを意味します。また、弟子たちが舟と漁具を保持していたことは、ヨハネ福音書21章3からも分かります。シモンはこのすぐ後で、イエスさまたちを家に招いて癒してもらっていますから(マルコ1章29以下)、家族とのつながりも絶たれてはいません。イエスさまたちは、おそらくシモンの家を拠点にして、カファルナウムでの伝道を行なったのでしょう。なお、この記事では、4人はイエスさまと初対面のように見えます。しかし、ヨハネ福音書1章35以下によれば、シモンたちもイエスさまも洗礼者ヨハネの弟子であったとあります。したがって、彼らはすでに互いに知り合っていたと考えられます。ルカ5章10では、彼ら二組の兄弟は「仲間」だったとあります。
  《ゼベダイの子ヤコブと彼の兄弟ヨハネ》、この二人は常に「ゼベダイの子」と呼ばれていて、弟子たちの間でも、二人は一組に扱われていたようです。十二弟子の中に別の「アルファイの子ヤコブ」がいて(マルコ3章18)、彼は「小ヤコブ」と呼ばれ(マルコ15章40)、ゼベダイの子ヤコブのほうは「大ヤコブ」と呼ばれています。もう一人新約聖書には、「イエスさまの兄弟」であるヤコブがいて、この人は後にエルサレム教会の柱と言われるようになります。大と小の二人のヤコブは「使徒」と呼ばれますが、主の兄弟ヤコブは「使徒」ではなく、「義人ヤコブ」などと呼ばれます。「ゼベダイの子」と呼ぶのは、ほかのヤコブと区別するためもあったからでしょう。
  彼らは《舟の中で網を手入れしていた》とありますから、舟の所有者だったことが分かります。網も、舟で漁をするためのもので、数人で用いる大きな網だったと思われます。「手入れしていた」のは、漁が終わったからでしょう。またマルコ1章20によると、家には「雇い人たち」がいたのですから、シモンたちと比べるとかなり裕福な家だったようです。
  イエスさまは《彼らをお呼びになった》とあります。この「呼ぶ、召し出す」という言葉は、キリスト教の教会において、伝道のためにイエスさまが「召命する」ことを表わす言葉になりました。
  このとき召された漁師たちが、イエスさま復活の後、諸民族に福音を宣べ伝えて、多くの神の民を集めたことを、私たちは知っています。ガリラヤ湖に網を投げて魚をとっていた無名の漁師たちが、イエスさまに従うことによって、世界の大海に福音という網を投げて多くの人間を神のもとに導く者になり、救済史に不朽の名をとどめる者になりました。「わたしはあなたがたを人間をとる漁師にしよう」と言われたイエスさまの言葉は見事に実現しました。
  いま私たちがイエスさまに出会うとき、彼らと同じような形で従うことが求められるとは限りません。しかし、イエスさまに従うさいの形は異なっていても、イエスさまに従うことが人生の最大事である点は同じです。ルターは、聖職者だけでなく、すべての人のそれぞれの持ち場を召命(天職)と言いました。イエスさまに出会った人は、職業や家族や金銭をもはや「自分のもの」として所有していません。それらは一旦捨てられたものです。私たちも「網を捨てて」イエスさまに従って行きます。いま私たちが自分の職業や家族の中に留まっているのは、その場に遣わされているのです。イエスさまに従う人は、神の恩恵の証人として遣わされて、職場や家族を担って行くのです。

  《23 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。24 そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。25 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。》
  イエスさまがガリラヤを巡り歩いてなされた働きを、マタイは二つの働きにまとめています。すなわち、「諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え」という言葉による教えの働きと、「民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」という癒しの働きです。そして、イエスさまが宣べ伝えられた「御国の福音」の言葉を5章から7章にまとめ、イエスさまの癒しの働きを代表的な事例を伝えて8章から9章にまとめています。さらに、イエスさまの言葉に耳を傾ける二つのグループ、すなわちイエスさまに従う弟子たちと大勢の群衆の存在が語られて、「山上の説教」の舞台が整いました。こうして、次週以降の礼拝では、私たちもまたイエスさまの山上の説教を聴くことになります。


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