2018年1月28日  顕現節第五主日  マルコによる福音書1章29〜39
「癒しと説教の旅」
  説教者:高野 公雄 師

  《29 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。30 シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。31 イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。32 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。33 町中の人が、戸口に集まった。34 イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。》
  イエスさまと弟子たちは、わたしたちと同じように、安息日の午前中に礼拝にいきました。その後、シモン(ペトロ)とアンデレの家に行ったときの出来事と、それに続く出来事が、きょうの個所では描かれています。
  イエスさまがシモンの家を訪ねたのは、食事をするためだったと思われます。シモンが是非にと、イエスさまを家に招いたのかもしれません。会堂で起こったことの意味について、詳しく知りたかったでしょうから。弟子たちはまだ興奮状態が続いていたことでしょう。つい先ほど、会堂の中で耳にしたイエスさまの権威ある言葉、そして目の当りにした不思議なみ業、そこで巻き起こった驚きに満ちた議論を思い起こしています。そして、自分たちの先生は、いったいどのような方なのだろう、といろいろと思い巡らせながら、イエスさまの後に従って、シモンとアンデレの家に入って行きました。
  ところが、家に着いてみると、シモンの姑(しゅうとめ)が熱を出して寝込んでいました。シモンは妻の母を引き取っていたのです。シモンは、後には伝道旅行にも妻を伴ったことが記されています(Tコリント9章5)。そこでは、シモンとその妻が一つとなって共にイエス・キリストのこと伝え、イエスさまに仕えている姿が描かれています。そのシモンの姑が熱を出し寝込んでいます。《人々は早速、彼女のことをイエスに話した》とあります。弟子たちはイエスさまが汚れた霊を追い出しのを目の前で見たばかりです。この方なら、何とかしてくださるのではないか。そんな期待を抱いたのかもしれません。すると、《イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした》とあります。イエスさまはシモンの姑を癒されたのです。イエスさまは病める者の遠くにいるのではなく、病める者の傍らに近づかれます。イエスさまは今もわたしたちの近くに来られ、手を差し伸べ、手をとって起こそうとされるのです。
  シモンの姑は《熱が下がり、一同をもてなした》とあります。具体的には、食事の準備をしたということでしょうが、このことは、病が完全に治ったという確かなしるしです。それと同時に、イエスさまに癒されて彼女も弟子となったしるしです。「もてなした」というのは美しい日本語ですけれども、この言葉は他の個所では、「仕える」、「給仕する」、「世話をする」などと訳されます。この言葉はマルコ福音書の中で、イエスさまご自身の生き方を表す言葉として、また弟子たちの生き方を指し示す言葉として重要です。マルコ10章43〜45にこうあります。《あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである》。つまり、「もてなす人=仕える人」となったシモンの姑は、イエスさまの弟子になっていったし、イエスさまと同じように「愛と奉仕に生きる者」になっていきました。ただ単に肉体的ないやしが問題なのではなく、イエスさまの癒しを体験することによって、その人の生き方が変わるということが大切なのです。
  イエスさまの噂は、たちまち方々の町や村にまで伝わりました。その日の内に噂は広まり、人々は日が暮れるのを待ちかねていました。なぜなら、その日は安息日だったからです。安息日は、律法の規定によって、何の業もしてはならないと決められていました。病人を癒すことも禁じられていました。歩いてよい距離まで決まっていました。ユダヤの日付は日没と共に変わります。ですから、《夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た》のです。安息日のうちは病人を運ぶことも控えなければならなかった人々はシモンの家の戸口に集まってきました。イエスさまのいる家は、日没と共に大勢の人に囲まれてしまいました。病人や悪霊に取りつかれた人たち、その人を連れて来た人たち、それだけではなくて、噂の人をひと目でも見たいと思って集まった人たちもいたことでしょう。イエスさまは、ご自分のもとに集まってきたすべての人を癒したと記されています。わたしたちもまた一人の例外もなしに、イエスさまのもとに来るとき、すべての重荷や思い煩いをイエスさまに委ねることができます。病でさえも癒されることを信じ、望んでよいのです。
  ここでマルコはこの但し書きを書き加えています。《悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである》。イエスさまは、神の子としての権威をもって、病を癒し、悪霊を追い出します。しかし、そのような目に見える不思議な業だけで、ありがたい救い主として受けとめられることを望みません。十字架と復活によって、驚くべき救いの中身が現されるときまで、イエスさまはご自分の栄光を隠しているのです。

  《35 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。36 シモンとその仲間はイエスの後を追い、37 見つけると、「みんなが捜しています」と言った。38 イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」39 そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。》
  ここで初めてイエスさまの祈る姿が記されます。イエスさまはほとんど休む間もなく、ご自分を求めてやってくる人々に癒しの手をさしのべました。そして、夜が明けて明るくなったなら、ふたたび、イエスさまを求める人々がやって来るでしょう。ですから、まだ夜も明けていない暗い内に、人目を避けるようにして、一人祈るために出て行かれました。
  ところが、この祈りは中断されてしまいます。シモンと仲間たちが後を追ってきたからです。彼らは《見つけると、「みんなが捜しています」と言った》とあります。しかし、イエスさまは、そのような人々のもとには戻りません。自分を捜す人がいることを知った上で、イエスさまは言います。《近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである》。イエスさまは「宣教」のために世に出てきたと言います。この自覚は、祈りにもとづく、父なる神との全き交わりから来たものです。「宣教」とは、単純に、わたしたちの願望に答え続けて、人々を幸福にするということではありません。自らが神のみ心を生きることを通して、人々に神のみ心を示すことです。ですから、神に祈りつつ、その目的に向けて、歩まれるのです。イエスさまは、決してわたしたちの人生における苦しみや、弱さに無関心な方ではありません。しかし、苦しみや弱さの中においても、罪を犯してしまうわたしたちを、罪から救い出すという神の目的のために歩むのです。
  もちろん、イエスさまは人々の苦しみを理解しなかったのではありません。事実、イエスさまは、歩む道の先々で、さまざまな業で、苦しむ人々を癒しました。きょうの個所の直後には、イエスさまが重い皮膚病を患っている人を癒す記事が出てきます。そこで、イエスさまはその人のことを《深く憐れんで》(1章41)清めたことが記されています。この後に続く個所でも、イエスさまは、ご自分を求めて集まってくる人々を深く憐れみ、癒し、奇跡を行いました。しかし、そのような業を行われる度に周りの人々の期待は高まり、イエスさまを自分の願いを叶えてくれる偶像として祭り上げようとしていったのです。ですから、ここでイエスさまがカファルナウムに戻らなかったということは、イエスさまに自分の願望を押しつける人々の自分勝手は思いを退けたということなのです。イエスさまはご自分のことを求める人々がいる場所に留まらないで、他の町や村へ行くのは、そこに留まることが、決して、苦しむ人々の本当の救いにならないからです。苦しむ人の本当の救いのために、他にもっと歩むべき道があるのです。
  わたしたちは、苦しみや弱さの中でイエスさまを捜し求めます。そして、わたしの願いは聞かれない、神に見捨てられたとの嘆きを発します。そのようなわたしたちの陰で、イエスさまがひとり、わたしたちのために祈っておられます。そのようなわたしたちの救いのために祈りつつ、十字架への道を歩んでおられます。そして十字架の上でわたしたちの救いを成し遂げてくださったのです。わたしたちは決して見捨てられているのではありません。イエスさまについて行くなら、わたしたちもまたイエスさまのすばらしい恵みのみ業を見ることができるのです。


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