2018年7月22日  聖霊降臨後第一〇主日  マルコによる福音書5章21〜43
「ヤイロの娘と長血の女」
  説教者:高野 公雄 師

  《21 イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。22 会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、23 しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」24 そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。   25 さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。26 多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。27 イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。28 「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。29 すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。30 イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。31 そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」32 しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。33 女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。34 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」   35 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」36 イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。37 そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。38 一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、39 家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」40 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。41 そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。42 少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。43 イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。》

  きょうの個所は、2つの出来事が絡み合う長い話です。まず、会堂長のヤイロという人が、自分の幼い娘が死にそうで、イエスさまに癒してもらおうと願っていました。そこに、12年間出血の止まらない女性の出来事が割って入ります。そして、ふたたびヤイロの娘の話に戻ります。この二つの癒しは、一見すると内容的に直接のつながりはないように見えます。ところが、この二つの出来事と直前の悪霊追放の出来事を通して見ると、汚れた霊、汚れた出血、汚れた死体というように「汚れ」が共通するテーマであることが分かります。
  そこで、まず「汚れ」の意識について少し学んでおきましょう。学者によると、原始時代には、死者も月経も出産も、それぞれの意味で崇拝の対象になっていたのが、ある程度文明が進む中で、死者や出産・月経の出血から病気が伝染すると信じられたために、死者は黒不浄、月経は赤不浄、出産は白不浄といわれて、「汚れ」と見なされるようになりました。それだけでなく、権力者たちは、自分たちが疫病の恐れから逃れるために、死者や出産などに関わる人たちまでも、不浄を扱う者たちとして差別の対象にしていったのです。現代では、このような「汚れ」がいわれのないことは誰でも分かっているにもかかわらず、いまだ慣習的に汚れ意識が続いています。イスラエルの宗教を長らく支配してきた浄・不浄の思想も、このような日本の「汚れ」意識と似たような事情の中で生じたのではないでしょうか。

  さて、初めに登場するのは、会堂長のひとりでヤイロという人です。ヤイロには12才になる「幼い娘」がいて、その娘が死にそうでした。父親としてはこの娘が助かるためなら何でもするという思いです。イエスさまの前にひれ伏して、《手を置いてやってください》と願いました。ヤイロの会堂長という立場は、ただの会堂守ではなくて、安息日礼拝についての大きな責任と権限を持つ務めでした。ユダヤの社会においては、地域の有力者であり、人々の尊敬を集めていた人です。しかし、その会堂長と言えども、死にかけている娘については何の力もありません。身分をも顧みずに、ただ娘を助けたい一心で、イエスさまを迎えようと出て来たのです。ヤイロの必死の願いを受けて、イエスさまはヤイロの家に向かいました。
  ここで、ヤイロにとっては思わぬハプニングが起こりました。イエスさまの前に12年間も出血が止まらないという重い病いに苦しんでいた女が現れたのです。この人は《多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった》と紹介されています。出血している女性は、「汚れ」と見なされていましたから、人びとの集まりに加わることができません。まして、不浄の女が、男性に「触れる」ことなど許されません。にもかかわらず、この女性は、治りたい一心でイエスさまの着物に触れたのです。《この方の服にでも触れればいやしていただける》と思い、《群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた》とあります。すると、出血が止まり、病気が癒されました。イエスさまもまた、自分の内から力が出て行ったことに気づきました。そして、《群衆の中で振り返り、わたしの服に触れたのはだれか》と、いま神のあわれみの業を受けた者を知ろうとします。イエスさまの弟子たちはまわりを見て、「これだけの群衆では分かるはずはありません」と答えます。しかしイエスさまはなおも、自分の着物に触れた人を見つけようとします。このことは、イエスさまとの触れあいを通して神の力を体験するとは、どのような性質のことであるかを指し示しています。手でイエスさまの身体や衣服に触ったり、目でイエスさまの姿を見たり、耳で声を聞いたりするだけでは、真にイエスさまに触れたとは言えません。この時もイエスさまに触っていた人は多くいましたが、真にイエスさまに触れたのはこの人だけでした。彼女だけが信仰によってイエスさまに自分を投げかけていたからです。逆に、手でイエスさまに触れることはできなくても、今でも信仰によって復活されたイエスさまのみ名を呼び求め、自分をこの方に投げかけていくならば、イエスさまとの触れあいを通して神の力を受けることができるのです。
  この時、会堂長のヤイロは死にかけている娘のところ早く行きたいと、どんなにやきもきしたことでしょう。しかしイエスさまは今この時は、自分に触れた者を見つけようします。その女性は自分が律法の定めを踏み越えて聖なる方に触れたことに恐れを感じ、もはやこの方の前では何も隠しておくことはできないと知り、《女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した》とあります。すると、イエスさまの口から出た言葉は、彼女の律法違反をとがめる裁きの言葉ではなく、無条件に救いを宣言する恵みの言葉でした。《娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい》。イエスさまは神の力によってこの女性を病苦から救っただけでなく、この恵みの言葉によって人間を律法の抑圧と差別の世界から解放したのです。ですから、この「救った」は、まず身体的なレベルで病気が治ることです。でもそれだけではありません。「安心して行きなさい」とイエスさまが言ったように、身体的だけではなく、精神的にも、さらに言えば、社会的にも、健全な状態に復帰することも「救った」に入るのです。

  イエスさまがまだこの女性の癒しのために立ち止まって話をしている間に、ヤイロの娘が死んだという知らせが入りました。《お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう》。ヤイロが願ったのは、死にかけている自分の娘にイエスさまが手を置いて、その命を助けてくれることでした。イエスさまなら娘を助けてくれるに違いないと望みをかけて出かけてきたのです。しかし、その願いは断ち切られてしまいました。
  しかし、《イエスはその話をそばで聞いて、『恐れることはない。ただ信じなさい』と会堂長に言われた》。「そばで聞いて」と訳されている言葉は、「無視する」という意味もあります。会堂から来た人が会堂長にそっと耳打ちしているのをイエスさまが聞いても、まったく動じなかったのです。そして、死の告知を受けて悲嘆にくれるヤイロの心に信仰を吹き込むようにして語ります。《恐れることはない。ただ信じなさい》。ここに、死に直面して、死を恐れず、むしろ、死を打ち破る力をもつ方が立っているのです。人間の力ではもはやどうすることもできない死という現実の前で、人間はただ嘆き悲しみ、絶望するだけですが、イエスさまの中にある生命はそれを超える力を知っています。信仰は死という現実をも超えて、恐れることなく、神が行ってくださることを待ち望みます。「癒し」を願う信仰が「死に勝つ」信仰へと移ったのです。
  父親の願いも空しく、娘は亡くなりました。この時点で、娘の遺体に触れることは不浄と見なされますから、当時の掟では許されないことになります。ところがイエスさまはそういう浄・不浄の意識にとらわれることなく、死の力の前に無力なこの世の常識に立ち向かって行きます。死に直面して、ただ泣き叫ぶしかない者たちは、《子供は死んだのではない。眠っているのだ》と言うイエスさまをあざ笑います。しかし、イエスさまは、死がすべての終わりではないことを知っています。ご自身の死によって、死の力を打ち破る救い主として、子供の両親と選ばれた三人の弟子たちだけを証人として伴い、子供が寝かされた部屋に入るのです。イエスさまは、子供の手を取って、声をかけました。《タリタ、クム》。いつも話していたアラム語の言葉で、《これは、『少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい』という意味である》。すると少女はすぐに起き上がって歩き出した、というのです。イエスさまは、決して動くことがないと思われていた死の力を突き破り、死の力の中から、少女を取り戻しました。不浄から浄へ、死から命へ、大転換が起こったのです。
  イエスさまの行なった救いのみ業は、今のこの世において、神が働いてくださっていることの「しるし」です。この出来事の意味を理解しないで、ただイエスさまの不思議な力だけを言い触らすことは、イエスさまに対する間違ったメシア期待を焚きつけるだけです。そのため、《イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ》ます。イエスさまが死人の中から復活されたのち、復活の宣教の中ではじめて、この出来事もその「しるし」としての意義を正しく理解して宣べ伝えられることになります(マルコ9章9参照)。
  マルコは、ここで会堂長が娘の死に臨んでもなお立派な信仰を持ち続けたとは書いていません。あの12年間長血を患っていた女性も同じです。あの女性の信仰も、考えようによっては、半分迷信のような信仰です。ただイエスさまにすがりついただけの、まったくギリギリの信仰しか持っていません。しかしイエスさまは、《あなたの信仰があなたを救った》と言ってくださいました。この時のヤイロも、ただ、自分の前に立つイエスさまを見つめているだけで、言葉を発することもできません。それでも、彼を支えたのは、《恐れることはない。ただ信じなさい》というイエスさまの一言だったのです。
  イエスさまはわたしたちにも、「恐れることはない。ただ信じなさい」と語りかけます。そして、わたしたちが終わりの日に墓の中から甦るときに聴く言葉も、イエスさまの「愛する者よ、死の床から起き上がりなさい」という言葉です。生きている今も、わたしたちは「起きなさい」というみ言葉に促されて、毎日をイエスさまと共に生き、歩むことができるのです。


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