2019年11月24日  聖霊降臨後最終主日  ルカによる福音書20章27〜40節
「終末のしるし」
  説教者:高野 公雄 師

  《5 ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。6 「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」》
  きょうの個所で、イエスさまは世の終わり、終末が来る前に起きるさまざまな徴について語っています。話のきっかけは、エルサレム神殿において、その素晴らしさ、立派さを人々が話していたことでした。
  ソロモンが建てた最初の神殿はバビロン捕囚の時に壊されてしまいましたが、バビロンから戻って来たイスラエルの民は神殿を建て直しました。ソロモンの建てた壮麗な神殿を知る長老は、その神殿のあまりの粗末さに涙を流したと伝えられています。この第二神殿はその後、ヘロデ大王によって完全改築に近い形で大拡張されました。イエスさまの時代には《この神殿は建てるのに四十六年もかかった》(ヨハネ2章20)と言われますが、「第三神殿」とも「ヘロデの神殿」とも呼ばれ、その壮麗さは「世界の七不思議」の一つに数えられるようになり、イスラエルの人々の誇りでした。当時の文献には、「朝日が昇ると、それはまばゆく照り輝いて、見る者は思わず目をそらさずにはいられなかった。まるで直射日光を受けたような感じだった」とあります。エルサレム神殿に来た人は皆、この神殿の立派さに見とれて、賛嘆の声を上げたのです。
  イエスさまは、その賛嘆の言葉を耳にして、このような立派な神殿で礼拝される神は、その神殿を、そしてその神殿で神を礼拝する民を安泰に守られるに違いないという「偽りの平安」の思いを聴き取られたのでしょう。イエスさまは、《あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る》と言います。つまり、この神殿が徹底的に破壊される日が来ると言ったのです。
  イエスさまは数日後には十字架にかかって死ぬことになるのですが、その眼差しは、自分の死の向こうに向けられています。そして、このイエスさまの言葉は、40年程後の紀元後70年、ローマ軍によるエルサレム攻略によって、本当になってしまったのです。ただ西の壁(嘆きの壁)だけが今に残り、その《見事な石》の一端を伝えています。
  イエスさまは活動の始めからすでに、《この神殿を壊してみよ。わたしは三日で起こすであろう》と言って、神殿に代わる新しい礼拝が始まることを口にしています(ヨハネ2章19)。生きた動物の血を献げる必要がない時が来るということでしょう。イエスさまは地上の働きの期間中ずっと、神殿の時代が終わったこと、神殿の滅びを見据えて来られたのです。
  イエスさまが十字架上に死なれた後、弟子たちは復活したイエスさまの顕現を体験して、十字架にかかり復活されたキリストが神殿に代わる新しい神と人間の出会いの場であることを悟りました。弟子たちはイエスさまの十字架の死が神による贖いの出来事であり、今やキリストとして立てられた復活したイエスさまとの交わりの中で真の礼拝が実現していることを悟ったわけです。このように、ユダヤ人キリスト者は、神殿がまだあった時にすでにキリスト信仰こそ神殿礼拝に代わる新しい神との出会いの場であるという理解があったので、周囲のユダヤ人のように神殿を守るために命を賭けることなく、ローマ軍に包囲される前にエルサレムを脱出していたのです。

  《7 そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」8 イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。9 戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」10 そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。11 そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。12 しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。13 それはあなたがたにとって証しをする機会となる。14 だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。15 どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。16 あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。17 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。18 しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。19 忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」》
  さて、神殿崩壊の予告を聞いた人たちはイエスさまに質問します。《そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか」》。ここでは神殿の崩壊と世の終わりが重なっていますが、それは当然のことでした。ユダヤ人にとって神殿は神が臨在される場所であって、信仰の唯一の拠り所でしたから、神殿が無くなることは、まさに「世の終わり」だったのです。
  《イエスは言われた。『惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、「私がそれだ」とか、「時が近づいた」とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。・・・』》。ここで大切なのは「惑わされないように気をつけなさい」ということです。惑わすような人が次から次へと現れて来るからです。最初は、イエスさまの名を名乗る偽キリスト。次は、戦争や暴動が起きると、もう世の終わりだと言う人が必ず出て来る。しかし、そのような人に惑わされてはいけないとイエスさまは言われたのです。実際に多くの人が惑わされたのです。イエスさまがここで言われた徴は、世界規模で見るならば、いつの時代でも起きていることばかりです。《こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ない》。私たちを救うためにひとり子を贈ってくださった神を信じている私たちは、世の終わりは神が私たちを本当に救ってくださる時だと信じることができるのですが、世の終わりはすぐには来ません。この世には不法がはびこり、私たちは世にある限り、必ず苦しみ悩みが伴うことを覚悟して、忍耐をもってイエスさまに従うように励まされているのです。
  《そして更に、言われた。『民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる』》。戦争、地震、飢饉、疫病。どれもそんなことが起きれば人々は不安になります。そうすると、その不安を利用して惑わす人が現れます。しかし、地球上のどこかで、いつでも戦争があり、地震があり、飢饉があり、疫病がはやったのです。イエスさまの終末に関する預言というのは、それによって人々を不安にさせるためのものではなくて、そのようなことが起きても私たちが惑わされることなく、信仰に堅く立ち続けることができるように語られたことなのです。
  続いて記されているのは、迫害です。ローマ帝国によるキリスト教への迫害だけではありません。キリスト教への迫害は、江戸時代の踏み絵にしても、先の大戦の時もそうでした。共産主義時代のロシア、中国においても大規模なキリスト教への弾圧・迫害がありました。イエスさまは歴史を見通して、それは起きると言います。たとえそのようなことが起こったとしても、惑わされるな、信仰に堅く立ちなさい、主の守りがある、と言われたのです。
  《それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい》とあります。弾圧・迫害はある。しかし、その時には弁明する準備もいらない。語るべき言葉、知恵が与えられる。だから安心していなさい、と言われているのです。弾圧や迫害は、何も国家の手によって行われるとは限りません。家族、友人から受けることもあります。キリスト者であるというだけで人々から憎まれることも起きます。
  《しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい》。神は生きておられ、私たちの髪の毛一本さえも、守ってくださる。私たちはこのことを信じて、忍耐しなければなりません。イエスさまと共に生きるとき、私たちはどうしてもこの忍耐を求められるのです。私たちは目を覚まして、忍耐をもって、生きている間に受けねばならないさまざまな試練をくぐり抜けていかなければならないのです。
  イエスさまは、目の前のことばかりに思いが向かう私たちに、前方を見て、今という時を忍耐をもって生きよと励まされます。
前方には、イエスさまが忍耐をもって命をかち取れと言われた永遠の命があります。その日まで、私たちは時が良くても悪くても、神の業に励むのです。神は、あの雀の一羽さえお忘れになることなく、髪の毛の一本に至るまで数えつくすほどに、私たちのことを知り、顧みてくださっているのですから(12章4〜7)。


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