2018年12月30日  降誕後主日  ルカによる福音書2章25〜40
「シメオンの賛歌」
  説教者:高野 公雄 師

  《25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。27 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
  29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。
  30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
  31 これは万民のために整えてくださった救いで、
  32 異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」
  33 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。35 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます¬――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
  36 また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、37 夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、38 そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。   39 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。40 幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。》


    きょうの御言葉には、二人の老人が登場します。シメオンとアンナです。アンナは84歳と記されています。シメオンの年齢は記されていませんが、教会の歴史の中では、シメオンもまた老人と考えられてきました。《メシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた》こと、また、幼子のイエスさまを見て、「もう、死んでも良い」と言い切ったことなどから、そう考える訳です。この二人が高齢者として描かれているのは、救いを待ち続けた時代の長さを感じさせるとともに、ついにその成就の時が来たことを印象づけます。彼らが見てきた現実は、神の民イスラエルがローマ帝国によって支配され、不当に扱われるという悲しみと嘆きに満ちていたものでした。そういう中で、シメオンは《イスラエルの慰められるのを待ち望》んでいました。アンナについては、《神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた》と記されています。シメオンと同じように、《エルサレムの救いを待ち望んで》、祈っていたに違いありません。
  この二人の老人は、自分のことや家族のことばかり祈っていたのではありません。神に造られたこの世界が嘆きや悲しみに満ちていることを見つめつつ、そのただ中で、主の慰めを祈り求めていました。それを祈り求めることが、この二人の老人の生活のすべてでした。主の慰めというものは、個人的な心の平安を突き抜けて、この世界に住むすべての人々に及ぶ出来事とならなければならないものなのです。二人はそれを願い、求めていました。なぜなら、それが旧約聖書以来の神の約束だったからです。主の慰めとは、具体的に言えば、メシア、救い主の到来だったのです。救い主が来る。そして、神の平和、神の慰めが、この世界を包む。彼らは、その日を待ち望み、祈り続けていたのです。

  幼子のイエスさまがエルサレムの神殿に連れていかれたとき、この二人の老人がイエスさまに出会ったのです。2章22に、《モーセの律法に定められた彼らの清めの期間がすぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った》とあります。つまり、この神殿訪問は、マリアが清めの儀式を受けるため、そしてイエスさまを《主に献げる》ためでした。
  レビ記12章に記されている「出産についての規定」によると、産婦は祭儀的な汚れを清めるために必要な期間、男児を生んだ場合は産後40日間(女児のときは80日間)は家にとどまらなければなりません。清めの期間が終わったら、神殿にもうでて産婦のための贖いの儀式をしてもらうのですが、子羊を献げることができない貧しい者は、山鳩か家鳩だけでも認められていました。ということは、マリアとヨセフは貧しかったということになるでしょう。
  そして、イエスさまが神殿に連れていかれたのは、イエスさまを《主に献げるため》でした。それは、律法に《初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される》(2章23)と定められていることに従ったことでした。初子に関する律法は、出エジプト13章2、34章20ほか多数の個所に出てきます。これは、日本のお宮参りのようなものですけれども、イスラエルでは長男は神のものとされていました。それは、出エジプトの際の過越しの出来事にさかのぼります。イスラエルの民以外のすべての初子は神に打たれて死にましたが、イスラエルの民の初子はこれを免れました。それゆえ、イスラエルの民の長男はこのときに助けていただいたために、本来神のものとされ、それを神から買い取って自分の子としなければなりませんでした。その金額は5シェケルと定められています(民数記18章16)。この本来神のものとされるはずの長男たちに代わって、神に仕えるのがレビ族の人たちだったのです。レビ人たちが祭司であるというのは、そう訳だったのです。

  27節に《シメオンが”霊”に導かれ神殿の境内に入って来たとき》とあって、イエスさまとシメオンとの出会いが、聖霊の導きの中で与えられたことが示されています。《メシアに会うまでは決して死なない》と約束された聖霊が、このような出会いを与えてくださったのです。「出会い」というものは神が与えてくださるものです。私たちはこの人と出会いたいと思って出会う訳ではありません。出会いは、いつも向こうからやって来ます。人と人との出会いもそうですが、何よりも神との出会いは、向こうからやって来るのです。聖霊の導きとしか言いようのない出会いが私たちに与えられるのです。このとき、シメオンの口から、喜びに満ちた、驚くべき讃美の歌があふれてきたのです。シメオンは、幼子を腕に抱きます。神の救いを抱いたからです。イスラエルの慰めを待ち続けていたすべての日々が、すべての祈りが報われます。私の生涯はこの子を見るためにあった。その命の充満、わき上がる喜び、それがこのときのシメオンの心を満たしていたことでしょう。形の上では、シメオンが幼子イエスさまを抱いていますが、このとき、シメオンの命のすべてがイエスさまの命に包まれているのです。
  シメオンはこう歌い始めます。《主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます》。この歌は、「ヌンク(今こそ)・ディミティス(あなたは・・・去らせてくださいます)」というラテン語の最初の言葉をとって、ヌンク・ディミティスと呼ばれてきました。「もう死んでもいい」、そうシメオンは語り始めたのです。なぜか。《わたしはこの目であなたの救いを見たからです》。イエスさまを見た、イエスさまの中に神の救いのみ心、確かに出来事となる神の救いのみ業を見たからです。シメオンが、こう言い切れたのは、自分の死さえも飲み込んでしまう、命の充満、新しい命の到来を見たからです。異邦人を照らす啓示の光、万民のための救いを見たからです。シメオンは、イエスさまの存在に、この万民の救い、異邦人さえも救わないではおかれない神のみ心を見た。その啓示の光に照らし出されたのです。
  私たちにとって、その一事が満たされれば人生のすべての意味や目的は達せられる、というものがあるでしょうか。それさえあればもう何もいらない、そう言えるものを私たちは持っているでしょうか。シメオンにとってそれは、救い主に相まみえることに他なりませんでした。救いとは、せんじ詰めれば、イエスさまにお会いすることなのです。
  この歌を、私たちは毎週、礼拝の終わりに歌っています。ですから、じつは、私たちも礼拝のたびごとに、「きょう、ここで神さまの救いを確認したから、もう安心です。仮に来週のきょうは、この世にいないとしても、私は安心してきょうこの礼拝堂をあとにいたします」と歌っていることになります。しかし、もう死ぬとしても、安心して死ぬことができるということは、裏を返せば、安心して生きて行くことができるということです。
  きょうは今年最後の礼拝です。私たちは、きょうもイエスさまの救いを見ました。この喜びを携えて、救われた平安を携えて、新しい年の日々へと送りだされて行きたいと思います。


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