2018年12月9日  待降節第二主日  ルカによる福音書3章1〜6
「洗礼者ヨハネの宣教」
  説教者:高野 公雄 師

  《1 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、2 アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。3 そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。4 これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。5 谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、6 人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」》

  ルカ福音書の特徴の一つは、1章3にあるように、《順序正しく書いて》ということです。洗礼者のヨハネの登場とイエスさまの公生涯の始まりが、いつだったのか。ルカは客観的な資料として、3章の冒頭に当時の支配者たち七人の名前を挙げています。   皇帝ティベリウスは初代皇帝アウグストゥス(ルカ2章1)の後を継いて紀元14年8月に即位しました。ですから、その治世(14〜37年)の第15年ですから、紀元28年か29年が、洗礼者ヨハネが活動を始め、イエスさまが世に出た年になります。その当時、ユダヤはローマから派遣される総督が支配していました。ポンティオ・ピラト(26〜36年在任)は五代目の総督です。次の二人、ヘロデ(ヘロデ・アンティパス)とフィリポ(ヘロデ・フィリポ)は、イエスさまが生まれた時のユダヤの王、ヘロデ大王の息子たちで、ヘロデ大王の領土を分割して受け継きました。ヘロデ・アンティパスは紀元前4年から紀元後39年まで、ヘロデ・フィリポは紀元前4年から紀元後34年まで、その地位にありました。アビレネ(ヘルモン山の北)の領主リサニアについては、正確なことは分かりません。アンナスとカイアファという二人の大祭司の名前が挙げられていますが、洗礼者ヨハネとイエスさまが活動した時代の大祭司はカイアファ(18〜36年在位)でした。アンナスはローマによって大祭司の地位を退かされた後も、絶大な権力を持ち続けて、娘婿のカイアファを操っていたのです。この二人はイエスさまの裁判に関わりました。

  イエスさまが宣教を始める前に、ヨハネという人がヨルダン川で悔い改めの洗礼を授けていました。《神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った》のです。ルカはイザヤ40章4〜6の言葉を引用して、ヨハネをこの預言を成就する者として紹介します。ヨハネは《荒れ野で叫ぶ者》であって、「もう神の裁きの時は終わって、新しい救いの時が始まる。勝利の王がやって来る、その道を備えよ」と宣べ伝えたのです。
  人々がこのヨハネこそ、メシア、救い主かも知れないと思い始めた時に、ヨハネはみずからそれを否定して、《わたしはメシアではない》(ヨハネ1章20)と公言します。《わたしは水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる》(ルカ3章16)と言って、ヨハネは、イエスさまの到来の道備えとして、人々の心の向きを神の方に向けました。
  イエスさまは後に、このヨハネついてこう述べています。《預言者か。そうだ、言っておく。預言者以上の者である。『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ。言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネよりも偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さい者でも、彼よりは偉大である》(ルカ7章26〜28)。つまり、ヨハネは一番良質な人間を代表する預言者であり、証人でした。しかし、それでは人間を真に悔い改めに導くことも、救いに導くこともできなかったのだということを示すことによって、イエスさまこそ真のメシアだということを証しているのです。
  ヨハネはヨルダン川のほとりで《罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼》を宣べ伝えていました。ヨハネから洗礼を受けようとして多くの人が集まって来ました。その人々に向かってヨハネの語る言葉は、荒々しく、激しいものでした。《蝮(まむし)の子らよ。差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる》(ルカ3章7〜9)。せっかく洗礼を受けに来た人々に対して、「まむしの子らよ」といって、一喝するのです。悔い改めの洗礼を受けに来た人々ですから、ある意味では、もう悔い改めようとしている人々、悔い改めた人々です。その人々に向かって「まむしの子らよ」と言って叱るのです。
  聖書の言う「悔い改め」は、私たちが慣れ親しんでいる「反省」とはまったく違うことです。反省するのには神は要りません。自分で自分の姿を省みて、これではいけないと思うのが反省でしょう。人間は弱いもので、反省しても同じ過ちを繰り返してしまいます。「悔い改め」は、「回心」とも言います。心を回すであって、心を改めるではありません。心を改める「改心」は、反省して、部分修正するようなものです。しかし、人間の心は部分修正ではダメで、根本から心の向きが変わらないと、心は変われません。「回心」は、私たちの心が真っすぐに神に向かうようになる、神中心の生活をするようになるということです。それは、私たちの生活のすみずみにまで及ぶものです。
  ヨハネが《悔い改めの洗礼を宣べ伝えた》時の「悔い改め」は、ただ自分は悪いことをしたと後悔するとか反省するということではなく、自分そのものが悪い人間であること、まむしの子らであることを自覚すること、そして罪の赦しを求めて心を神に向けるということです。ヨハネは《蝮(まむし)の子らよ。差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか》と言って、神の怒りをもって人々に悔い改めを迫りました。
  それに対してイエスさまはどうだったでしょうか。イエスさまは神の怒りを説いて悔い改めを迫るのではなく、天の父なる神は私たちが神のもとに帰ることをどんなに待ち望み、それを喜ばれるかという、神の愛・神の赦しを説いて悔い改めを促すのです。
  神の怒りから悔い改めを迫られると、私たちはどうしても自分の行いのほうばかりに思いがいきます。洗礼者ヨハネから厳しいことを言われると、なるほど人々はそれによって悔い改めますが、その時の彼らの反応は、《では、わたしたちはどうすればよいのですか》(3章10)という問いになっていくのです。つまり、あくまで自分の行為が、自分の生き方の姿勢が問題になります。
  しかし、イエスさまが悔い改めを宣べ伝える時は、何よりも大事なのは、私たちが神のもとに立ち帰るということ、悔い改めとは何よりも自分の方に向かっている思いを神に向けるという方向転換なのだと語ります。ですから、放蕩息子(ルカ15章11〜32)がまだ完全に自分の思いを訂正できなくて、あいかわらず自分の飢えをしのぐために、もう息子の資格はないので雇い人の一人として、食べ物をください、という思いで帰ってくるわけですが、それでも良いから、ある意味では御利益的な、よこしまな思いのままでも良いから、ともかく父親のもとに帰ってきた、それを喜び、それが悔い改めだというのです。イエスさまは、このたとえで、《お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜びのは当たり前ではないか》と喜ぶ天の父の姿を示すのです。つまり悔い改めとは私たちが自分の生き方の姿勢を正す、自分の行いを改めるということではなく、神のもとに立ち帰るということなのです。そのためには、神の怒りが前面に出ては、私たちは自分の行いを改めようとは思うかもしれませんが、神のもとに帰ろうとはなかなか思えないものです。
  もちろん、悔い改めるということは、私たちの行いはどうでもよいのだというのではありません。神のもとに私たちが帰るならば、私たちが自分のことばかり考えて生きるという生き方が変えられるわけですから、当然、生きる姿勢も変わってくるはずです。自分中心の生き方から、神中心の生き方に変えられるのですから、当然、他者に対する思いやりも出てくる、そうした生き方に変えられるのです。
  私たちは悔い改めることを教えられました。悔い改めて神に立ち帰ることは、私たちの決意や努力によるのではなく、イエスさまがその十字架の死と復活とによって私たちのすべての罪を赦し、神の恵みのもとに生きる新しい生活を与えてくださる、その恵みの促しによるのです。この驚くべき恵みを、ただただ感謝をもって受け取る者、それが、悔い改めにふさわしい実を結ぶ者なのです。神への感謝と喜びをもって歩んでいく中で、私たちは神が豊かな実を実らせてくださることを味わい知ることができるでしょう。


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